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それとこれとは…

もうたくさん、これ以上物理学はいらない - 大槻義彦の叫び、カラ騒ぎ 2017/7/14(金) 午前 8:06


最近の投稿 - [ 牌鬼屋 ] 2017/7/11(火) 午前 9:35

>それ以上、何を知りたいのですか?

それです!
それ以上知って何がどうなるんです?
自己満足の知識にしか過ぎないでしょう?
だから、もう今の知識で十分過ぎるので、物理学も天文学も無用だと。


大槻からの回答  

冗談じゃない!知りたいこと、謎のまま残されていること、山ほどあるんです!
今やめてしまって人類は進歩しないんですか?

あなたと同じような物理学者は19世紀末のヨーロッパにはたくさんおりました。
すでにニュートン物理マクスウェルの電磁気学を知ってしまった物理学には、
それ以上知ることは何もない、しるべきでもない、と。

しかし、あなたもよくご存じのごとく、すぐ20世紀が来るとアインシュタイン
相対性理論量子力学がはっけんされました。これが現代のほとんどすべての
科学文明につながっているのです。  19世紀末、『今の知識で十分すぎる』との
思いはまったくの思い違いでした。あなたも思い違いです。


先日は大変失礼致しました。本題です。 - [ K ] 2017/7/14(金) 午後 3:39

それ〟と〝これ〟では話しが別です。
これ以上〟なら知る術もありますが、
それ以上〟なら知る由もありません。
まだ見ぬ先がそれ〟であるからです。


; 外部リンク
これから未来に起こることを、「この時知る由もない」と「知るすべもない」どち... - Yahoo!知恵袋
18 - Wikipedia
72 - Wikipedia
90 - Wikipedia

日本に民主主義が根付かない理由

日本人の「危険回避能力」が落ちていることを示す、衝撃的な事実 自転車のライトは何のために点けるのか - 現代ビジネス 2017.07.09


自転車のライトは何のためにつけるの?

――自転車の無灯火に関するインターネットの記事を見た。

無灯火の危なさを教える4コマ漫画も載っていた。

「夜に自転車を運転で灯火するのは、自分の進む道を照らすためではなく、自動車などから自転車を認識させるためである。だから点灯しなさい」と警告しているものだった。

文明的な衝撃を受けた。いまは、そんなことを大人同士が確認しあう時代なのか。

「自転車のライトは、乗ってる自分がまわりを見るため」という考え方をする人がいることを、私は初めて知った。いろんな意味でとても驚いた。

そんなこと言われなくてもわかってるだろ、と言える時代ではないようなのだ。衝撃が深い。

* * *

――私がうかつだった。

自転車の点灯は、まわりに自分の存在を知らせるためのものであり、それを日本中の人が意識していると、ずっと信じていたのだ。

なんでそんな太平楽なことをおもってたのかと難詰されても困るが、そうおもっていた。世間知らずだった。だから、無灯火で走ってる自転車があれほど多いのか、と、いまさらながら納得した。

自分でまわりが見えていれば点灯しなくていいと考えるのなら、そりゃ点灯しない人も多くなるだろう。なるほど。いや、納得している場合ではないし、みんな夜になれば点灯していただきたいのだが、しかし、自分の無分明におもいいたるばかりである。

なぜ、そうおもいこんでいたのか、とふと反省してみると、それは私が子供のときからそう信じていたからである。子供のときに信じたことは、まわりの大人はみんな知っていると勝手に考えてしまう。

自転車は弱い存在なのだから…

――私が自転車を初めて買ってもらったのは小学校3年のときで、8歳だった。

そのとき「自転車のライトは、自分が走っていることを周囲に知らせるため」とすでに何となく知っていた。なぜだかよくわからない。

たぶん、誰かが何となく教えてくれたんだとおもう。暗くなってから無灯火で走っている自転車は発見されにくく、危ない。とても危険である。

自転車は弱い存在なのだから、という意識があった。8歳の自分が弱い存在だから、その自分が動かす自転車も弱いものだと、おもっていた。

自転車に乗っている自分はか弱い存在である、という感覚を持たない人がいるのが驚きである。

ただ、どれぐらいの割合でいるのか、ちょっとわからない。ひょっとして自転車乗りの8割は知っていて、問題なのは2割だけなのかもしれない。

でも2割いれば、それでじゅうぶん私にとっては驚天動地である。

天と地を逆に認識している人が、同じソサエティの中に2割もいれば、それはとても驚きます。おれはどういう社会に所属しているのだろうと、とても不安になってくる(それに2割より、もう少し高そうな気がする)

道を照らすつもりなどなかった

――私が8歳のときに買ってもらった自転車は中古品で、ライトが付いていなかった。夕方から自転車で出かけたとき、祖父の懐中電灯を借りて、それをヒモでぐるぐるに取り付けて、ライトの代わり(というか手製の自転車ライト)にして走った。

懐中電灯を取り付けるのは8歳にはなかなかむずかしかった。どうしても少し横を向いてしまう。ちょっと右向きになる。これは許されないんじゃないか、とすごく不安だった。

自転車のライトが正面を向いていないことに気付かれれば、おまわりさんに捕まるのではないか、見知らぬおじさんにも怒られるんじゃないか。びくびくしながら、必死で自転車を漕いだ。逃げるような気持ちで走り続け、何とか帰り着いた。おまわりさんに捕まらなかったし、見知らぬおじさんに怒られることもなかった。

あらためてこのとき、道を照らすつもりがまったくなかったことが(自分のことながら)わかる。

市街地の道路を走ってるかぎり、怖いのは自動車であって、道にある穴に落ちたり、脇の田畑に落ちることではない。そもそも落ちるような穴はなかったし、田畑もなく、並走するタヌキやイノシシもいなかった。

いま書いていて気が付いたけれど、走る自動車よりも走る小動物のほうが多い地方の山道なら、たしかにライトは正面ではなく、自分の走る道路を照らしたほうがいいだろう。そういう都市と田舎の意識の差の問題なのか、と一瞬おもったが、いやたぶん違いますね。

走る小動物と戦いながら自転車で走る子はいまでもいるだろうが、そんなに多くはないはずだ。私が子供だったころより、日本ははるかに都市化しているし、クルマの保有数も増えている。

やはり問題は、ものを考えるときにどこに立つか、ということなのだ。

これは、子供をどこに立たせて、どこを見るように教えるのか、という問題でもある。

自転車に乗り始める年齢の子供に、何を意識させるか。自分が弱い存在だと意識させているのか。人は理不尽に無意味に圧倒的な暴力によって消えることがある、と示唆できるのか。

また、暗闇でライトを当てるのは、まわりなのか、自分なのか、生き残る可能性はどちらが高いのか。

そういう問題である。

自由は危険

――そもそも、自転車はなぜか、自由である。

自転車に乗っていると、自由をより強く感じてしまう。気持ちはわかる。いい意味でも悪い意味でも、自転車は自由であり、ずっと私は自由だと宣言しながら走っているように見える。

どこまでもいけるし、あくまで自分の力で動いてるし、自分の意思でどう動くかも決められる。そして人より速い。自由だ。そのいっぽうで、困ったことに、交通法規からも自由でいられる(ように感じてしまう)

暗くなっても電気をつけないし、赤信号でも走るし、反対側の車道を逆走する、歩行者が横断歩道を渡っていてもすり抜けられそうなら横断歩行者のすきまを走り抜けたりする(これを自動車でやったら大騒動になるとおもう)

自由である。

クルマを運転してる人よりはかなり自由だ。ときには歩行者よりも自由だろう。

もちろん交通法規をきちんと守っている自転車乗りのほうが多いのはわかっている。でも、自転車乗りの一部が自由走行していると、ほぼすべての自転車が自由に動いてるように感じてしまう。クルマはあそこまで自由には動いていない。自由なクルマは(たとえば逆走しているクルマは)すぐに捕まるからだ。

そして自由は自由であるかぎり、とても危険である。規律的な存在より、自由な存在のほうが、いつだって死に近い。

1960年代には社会の空気として、そういう了解があったようにおもう。言葉にされていないけれど、子供でも何となく感じていた。

自転車の歴史

――自転車が未来的な乗り物として熱気をもって迎えられたのは、19世紀である。

初期型の自転車は、フランス革命のころ、つまり18世紀おわりごろすでに出現しているのであるが(ペダルがなく、ひたすら地面を蹴り続けて進むシロモノだった)、より多くの人が乗るようになるのは19世紀の後半である。

その時代の空気が、自転車に意味不明の〝自由の感覚〟を抱かせているのかもしれない。

19世紀は、人類が、未来にもっとも夢を抱いていた百年である。とくに後半になるにつれ、これから世の中はどんどんよくなっていくのだと、多くの人が本気で信じていた。

自転車もその〝未来を担う〟乗り物のひとつだった。馬を使わずとも、また巨大な蒸気機関を備えなくとも、移動できる圧倒的に未来な乗り物だった。

青年たちの遊具としてスキーやスケボーのように人気が高かった時代があり、ひたすらスピードを出す乗り物として(前輪が異様に大きく作られた)鑑賞スポーツとしての人気も出た。やがて現在に近い「ペダルで後輪を駆動し、ハンドルで操作し、空気を入れたタイヤを使用」という形になったのがだいたい1880年代である。

そのころから広く男女に乗られるようになった。

19世紀後半には、アメリカでも広く人気が出て行った。南北戦争後にアメリカ全土で人気が出たとされる。

1890年代には、明かりを点けた自転車の集団が大通りを走っていく、パレードイベントが大人気となったらしい。いつの時代も奇妙なことが流行するものです。大勢が夜に集まって、自転車にそろって乗って、練り走るのである。

1897年5月にはフィラデルフィアで〝イルミネテッド・パレード〟という1万5千人もが参加した夜間イベントがあった。夜間の自転車パレード走行である。1万5千人がライトをつけた自転車に乗って走った。壮観だっただろう。何も知らない老人たちは、南北戦争で死んだゲティスバーグの英霊たちが蘇ってきたとおもったかもしれない。いないか、そんな老人。

これには〝自転車の夜間灯火の使用啓蒙運動〟という側面があった。

「昼にはベルを、夜にはランプを使用しましょう」というのが19世紀末の自転車教本には書かれていた。19世紀も、自転車の衝突事故が多発していたのである。

吊り下げるのはランプである。トム・アンブルローズという人が書いた『図説自転車の歴史』という本によると、1870年代に作られた〝ルーカスのオイルランプ〟を取り付けるのが当時の標準だった。それは「1923年に松下幸之助が信頼性の高い自転車用電池ライトを開発するまで」欧米での自転車ライトの基本であったらしい。

ランプは前輪の中央の金具に吊り下げられた。ハンドルに下げられることもあったが、運転の邪魔になるので、前輪の真ん中に吊り下げられるのがふつうだった。

ときに日本の提灯が吊り下げられることもあった。

19世紀を通して、欧米では東洋風デザインが流行していた。

たとえば東京ディズニーランドのアトラクション〝カリブの海賊〟に乗ってすぐ右手にレストランがあるが(ブルーバイユー・レストラン)、あそこの天井には東洋の提灯が下げられている。あれも19世紀半ばのカリブ海沿いの街(ニューオーリンズ)での東洋趣味の流行からからあのようなデザインになっていて(もとはフランス領だったから、フランス人の東洋趣味から来ているらしい)、それと同じ流れである。

この風潮が流れ流れて自転車のライトにまで影響した。日本風の、ないしは中国風の提灯を自転車ライトとして下げるのが流行したのだ。

まあ、そういうこともあるのだろう。19世紀末に自転車に日本提灯をぶらさげて何千人ものアメリカ人が自転車パレードをおこなっていた。奇観である。日本での提灯行列に先行していたのではないかという指摘もあるが、そのへんはよくわからない。

ちなみに落語を聞いていると、明治大正期の人力車ではやはり夜間走行の際、提灯をぶら下げないと怒られたらしい。ぶら下げないと営業できないので、神社のどでかい奉納提灯を勝手に吊り下げた人力車が出てくる描写がある(勝手に借りるのも犯罪だけど、まあ、そのへんはみんなあまり気にしていない)

19世紀末のフィラデルフィアで、自転車点灯の啓蒙の意味も含め、日本提灯をぶらさげたアメリカ人の自転車が何千と走っていたというのは、何だか心踊る風景である。

自転車は自由ではあるが、しかしまた規律的でもあろうとしていた。

自転車に乗っている人の意識はしっかり社会を反映しているようだ。

変わったのは「死への距離感」

――私が子供だった時代と、いまの社会の空気の違いは〝個〟の認識だろう。言い方を変えれば、〝死への距離感〟の差でもある。

自転車に乗る行為を、子供であっても、個から見るか、全体から見るか。その意識の持ちようの違いである。いまは個から見るほうが圧倒的に優先されている。

私が子供のころ、1960年代は、全体から見ろと社会が強く子供に要請していたようにおもう。言葉ではなく空気である。

現在では大人が子供に向かって「大人の論理を学べ」とは強制しにくくなっている。それは親と学校だけの問題ではない。そのうしろに控えるすべての大人の意識の問題である。

どこかの時点で、われわれの社会は、子供を〝お客さま〟化してしまい、それが取り戻せないでいるのだ。

このまま転がっていかないほうがいい。

そして、自転車は暗くなったら、必ず点灯してください。歩行者からしたら、危なくってしかたない。

堀井 憲一郎


kazuraky
太陽って何で光ってると思う?自分を認識させるためか?相手を浮き上がらせるためだ!それはいわば反射板。俺という太陽を受けコメントしたのがお前という月だ!わかるか?だからライトが必要なんだ!我々の進むべき道を照らすために


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